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「解体新書」前編

カテゴリー:スタッフブログ 更新日:2017.11.24

こんにちは、教員の小枝です。
今回の医学史探訪は医学史ファン必見!いよいよ解体新書の誕生です。

江戸時代、徳川幕府の厳重な鎖国令のもと、日本人が西洋のことを知るには長崎の出島に赴くか長崎のオランダ通詞(通訳)を介するほかなかった。

年に一度、長崎の出島に到着したオランダ人使節の一行が、ときの徳川将軍に謁見するため長崎から江戸まで往復の旅をする。そのときには江戸の「長崎屋」に宿泊するのが慣例となっていた。

杉田玄白(1733~1817)は、若狭小浜藩の藩医の息子として生まれ、のちに小浜藩の藩医となった。幕府の御殿医からオランダ流外科を学んだ玄白は、西洋の医学書に描かれている解剖図が和漢の五臓六腑図とまったく異なることを不思議に思っていた。
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杉田玄白(Wikipediaより引用)

前野良沢(1723~1803)は、豊前中津藩の藩医で、幕府の儒官であった青木昆陽にオランダ語を学び、オランダ語の習得に高い志を持っていた。
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前野良沢(Wikipediaより引用)

江戸にオランダ人使節一行が来ていることを知った玄白は長崎屋を訪れた。奇遇にも先に知り合いの良沢が通詞と話をしていた。通詞から異国の話を聞いた二人は西洋医学への強い憧れとオランダ語を学びたい気持ちがますます高まった。しかし通詞は「オランダ語は非常に難しいのでおやめになったほうがいい」と厳しい言葉を彼らにかけた。

その厳しい言葉をバネに、良沢は藩の許可をもらい長崎に100日間遊学し、その地で洋書の入手やオランダ語の修行に励んだ。

一方、玄白は一冊のオランダ語の医学書に出会った。それは玄白の熱意に感心したオランダ人使節一行の医師が玄白に貸し出したものであった。玄白はオランダ語を全く理解できなかったが、その挿し絵だけでも参考にしようと一心不乱にその絵を模写した。玄白は何としてもこの本が欲しいと思った。しかし、お金がない…

そこで彼は藩の家老にかけあった。「今はまだはっきりとした目当てはありませんが、ぜひともお役に立つ物としてお目にかけます!」

こうして、彼は一冊の解剖学書を手に入れた!

これが「ターヘル・アナトミア」との出会いであった!!
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ターヘル・アナトミアの複製写真(Wikipediaより引用)

後編につづく(12月に公開します!)



※参考文献 医学の歴史(小川鼎三 著・中公新書)、まんが医学の歴史(茨木保 著・医学書院)

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